それは些細な重大な事象(葵ちゃんの小話)

些細なことだった。

ほんの少し、違和感ともいうまでもないほどの小さなこと。

だらりと柔らかなソファに横たわり、スマートフォンを見つめている私の姉のように弛緩した布張りの鞄に一際目を引くそれはあった。

 

「お姉ちゃん、そのストラップどうしたの? めずらしいね、お姉ちゃんがピンク以外の小物選ぶなんて。」

 

姉はゆっくりとした動きで私の方へ振り向く。細い肩からはぱらりと柔らかそうな、けれども細く艶やかな絹糸のような桃色の髪が零れ落ち、さらりと床に円を作る。木製のテーブルに置かれた苺柄のガラスのコップを手に取り、氷が溶けて薄まった麦茶をひと口含んだ白い喉がこくりとなった。

 

「んー、ちょっとな。かわいいやろ、それ。気に入ってるねん。」

 

幼い頃に生き別れた姉。私からはとても縁遠いはずの少しおかしな関西弁を耳馴染みのいい声で発した。その顔はなぜか、見慣れたはずのその顔が、見たこともない顔をしていたような気がした。

 

 

 

 

ーちょっとって、何?

なぜかその言葉が言えなかった。どうしてだろう? 普段ならば、何も考えずにそれは軽やかに言葉を交わして、時たま軽口を交えたりして些細な事で笑い合えるのに。隠し事もしていないし、されていると考えることもないくらいにすっかり姉のすべてを見通し、信じていると思っていたのに。

ざわざわと波打つ胸に嫌悪感を抱きながら姉の後ろをついていつも通りの道を歩く。毎日歩いている通学路。なぜだか今日はいつもと少し違った景色に見える。

私の予感は当たる。きっとわかっていたんだろう。気づかないふりをしていたんだろう。知らないふりをしていたんだろう。ざわざわと波打っていた胸は、どくりとひとつ大きく鼓動を打ち、静かに沈んでいった。

 

「あれ、茜さん。偶然ですね、おはようございます。」

 

小さな女の子を見る姉は私の知らないあの顔をしていた。たたた、とローファーの踵を鳴らして女の子に走り寄る。私の前から走り去る。その背中はとてもうきうきと跳ねていて、いくら私でももうその意味を誤魔化し知らないふりをすることなどできなかった。

 

「きりたんっ。おはようさん、偶然やなぁ。」

 

知らない姉の声。少し上擦った、甘く色めきたった女の声。

きりたん、と呼ばれた女のランドセルには太陽の光を受けてきらりと苺のストラップが光っていた。

 

 

 

「お姉ちゃん、私少し歩き疲れちゃったみたい。少し休んで追いつくから先に行ってて。」

 

「そうなん? 大丈夫か、葵。

 …わかった、それなら先に行くな。また学校で。」

 

並んで歩く2人から、ちかちかと対の光が目に入ってひどく眩しく感じた。足が重い。小さくなっていく2人。桃と緑の光だけがきらきらといつまでも見えた。

 

桃の隣に並ぶのは、青じゃない。

それは些細な、けれども重大なことだった。

 

 

 

 

葵ちゃんの話を書きました。難しいですね。

葵ちゃんは少し切ない気持ちでいるのが可愛いと思います。